YURI /ゆり
11月の学習アウトプット・上流設計で気づいたこと
2025年12月01日
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要約を生成中...
デザインを始める前に情報を整理し、目的や方向性を明確にすること。
ここでの「明確にする」とは、言語化すること。可視化すること。
言葉が整えば、世界観は驚くほどブレなくなります。
そして、美しさの起点には “言葉” があると私は思います。
デザインに入る前に、まずこの言葉たちを生み出すことが、
すべての始まりで、その言葉の設計こそが「上流設計」です。
ちょっと余談です。。。。
それはある依頼からでした。
「この言葉を入れて、色はこれで、これを参考にして、同じような感じで、来週までに20パターン。2万円でできますか?」
その依頼を受けたとき、私はふと考えた。
「この人にとって、“デザイナー”とは何をする存在なのだろう?」
作ること自体はできる。時間をかければ、手を動かせば、形にはできる。
でも、その依頼から抜け落ちているものがある。
それは、「デザインがどこから生まれるのか」という視点。
デザインには、本来 “目に見えないプロセス” が存在する。
誰に届けるのかを定める。
何を感じてもらいたいかを言葉にする。
その人の心に届く構造を考える。
世界観や軸をつくる。
そうやって意図や設計が生まれて、
初めて「どう見せるか」という表現の段階に進む。
デザインの中には、手を動かす前に流れている時間がある。
感覚を探し、その感覚の言葉を探し、
まだ形のない何かを見つけようとする時間。
けれど、その時間はいつも目に映るとは限らない。
その工程が必要なくなったとき、
デザイナーは思考する人ではなく、
作業する人=ツールとして扱われてしまうことがある。
作業の速さや、見た目を整えることだけが
デザインの価値だと思うのなら、
それはきっと、「デザイナー」ではない誰かや
何かに代わっていく領域なのかもしれない。
何をつくるか、より前にある ――
“なぜつくるのか” を探る時間には、まだツールは触れられない。
肌で感じたことから生まれる、
経験からしか出ない温度のある言葉は、
人にしか紡げないと思っている。
形にする前に、言葉にする。
レイアウトする前に、問いを立てる。
色を選ぶ前に、意図を描く。
それが、上流設計。
デザインを、作業ではなく思考の営みとして取り戻す。
見た目ではなく、構造と思考から生み出す。
私が今、上流設計を学んでいるのは、
デザインの価値を“手の動き”ではなく
“思考と設計の領域”で育てたい と思うから。
そしてその領域こそが、
人間のデザイナーの価値がある場所なのだと感じているからです。
余談終わり。
実案件「薬膳」のビジネスをしているクライアント様のバナー制作で、
上流設計の市場、競合リサーチをしていて感じたことが、
すべて“薬膳”をテーマにした発信者のデザインに、
どれも『薬膳』という言葉があり、料理が映っていて、講座や暮らしの話をしています。

でも、初めて見る人に——
これは薬膳の世界なんだ、と視覚的に一目で伝わるかというと、冷静に考えても答えは、NOです。
写真や言葉はあるのに、
“薬膳らしさ”や“中医学の視点”までは届いていない。
たとえば、
料理教室に見えてしまうもの、
ヘルスケア・ダイエットとして感じるもの、
あるいはライフスタイル発信に見えるものもある。
“薬膳”と書いても、
薬膳として伝わるとは限らない。
でも、私がクライアントさんから学んだ薬膳には、
中医学にもとづいた「五行・陰陽・巡り・調和・自然と身体の関係性」といった、
独自の世界観がありました。
その世界観は、言葉ではなく——
形・色・構図で“薬膳らしさ”として視覚化できるもの。
つまり、“薬膳”と書かなくても、
見ただけで薬膳の世界を感じてもらえるデザインは、本来つくれるはずなんです。
でもここからもわかるように、多くの人は、薬膳を
“堅く見せないように”
“古臭く感じさせないように”という意図なのかわかりませんが、
その結果、かえって薬膳がぼやけてしまい、何の世界なのか伝わらなくなる。
私が着目したのは、
“薬膳に惹かれる人に、ちゃんと薬膳で魅せる”という考え方です。
薬膳を薄めずに、まっすぐ伝える。
——これが、今回のデザインで一番大切にした視点です。
デザインコンセプト


デザイン提案オプション

バナーのサイズ違いの見た目

バナーデザインを使用でその他のバナー導線提案

余談からの私の視点。
「作業の速さや、見た目を整えることだけがデザインの価値だと思うのなら、
それはきっと、「デザイナー」ではない誰かや何かに代わっていく領域なのかもしれない。」
私は、AIの進化を否定したいわけではありません。
むしろ、AIが生まれてきたことにも意味があるのだと思います。
だからこそ、今あらためて問われているのは、
「AIにできること」と「人間にしかできないこと」を区別することではなく
――なぜ、人間がデザインするのか。という視点。
AIに限らず、歴史も、文化も、技術も、人も。
どんな領域であっても、
対立や否定ではなく、敬意を持って向き合ったときにだけ、
初めて見えてくるものがある。
本質は、理解しようとする姿勢の先にある。
足すか、引くか。
その視点のままでは、対象とは向き合えていないのかもしれない。
逃げる(引く)、戦う(足す)でもなく。
ただ、そのものに敬意をもって向き合うこと。
本質は、その姿勢の先にしか現れない。
上流設計を通して気づいたのは、
デザインとは “何を足すか” や “何を引くか” を判断する行為というよりも、
本質から遠ざけてはいけないものは何かを見つけていく営みなのかもしれない、ということ。
そして、その本質を強調するために何かを削るのではなく、
その本質そのものが、濁りなく透き通っていく状態を整えること。
それが、私にとってのデザインという感覚に、少しずつ変わってきた。
私は、その問いとともにデザインを続けていきたいと思っています。
要約
いい経験しましたね!デザイナーのお仕事への理解が一気に進んだようにお見受けします👏
ゆりさん、デザイナー向いてますよ🥳
2025年師走にして、今年一番の嬉しい言葉です!!
もちさん、ありがとう。NOT、ありがとう。
このまま、精進しながら、追いかけます!!🐢🐢🐢(笑)